2011年01月05日

喜美留 えらぶゆり明治32年よりの歴史

喜美留 えらぶゆり明治32年よりの歴史

【喜美留】(チビル) 〔世帯〕260〔人口〕580

町の北東部、南西は手々知名、北は西原に接し、
南東は太平洋に面する。県道循環線が北東から
南西に通り、その周辺に集落を形成する。
海浜には笠石公園やキャンプ場がある。

喜美留はエラブユリの発祥の地であり、
伊地知季道翁が、喜美留沖で難破した英国船の
乗組員を手厚くもてなした。その時の英国人が
ユリ商人アイザックバンデン氏、氏の勧めで
喜美留のソテツ山に蘇生していたユリを育てる。
明治32年から栽培を始め、35年には欧米に輸出
されるようになる。

ユリの先生に喜井利一さんがいる。氏は40年
一貫してユリの研究をされ、生涯ユリにかけた方で、
平成13年に「沖永良部テッポウユリとフリージァの
あゆみ」を出版されている。
現町長伊地知実利氏ははこの字出身である。

沖州会コラムより



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Posted by YOSHI at 18:24│Comments(0)喜美留
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